デンバー日記1994
10月1日(土)
午前2時30分、集合時間30分前すでに小坂団長初め数名が高山駅バスセンターに集まり始めていた。数時間前にスーツケースの積み込みに集まったばかりでそのあと寝ずに集合したものも多かったが皆元気にバスが来るのを待っていた。
最初のパートによる点検後バスに乗車、定刻通り3時すぎご家族の見送りを受け出発。順調な滑り出しで名古屋空港に予定より早く6時30分に到着、すぐに 点呼とパスポートの確認、事件発生古田君のパスポートがない! バスの中に忘れたらしい。対策を考えているうちにバスが戻ってきてくれた。椅子のポケット に入れたままだったようだ。これでほかの皆もパスポートの重要性を再認識でき全員で出国手続きへ向かう。
手続きが済むと出発ゲート前に集まり集合まで暫しの自由時間。さっそく免税店で買い物を始める女性軍、コヒーショップで軽食をとる者、飛行機をバックに写真やビデオを撮るものなどさまざまに過ごしていた。
9時10分搭乗開始、まずソウルまでの約1時間30分のフライト。さっそく飲物と朝食が配られた。大韓航空なので当たり前だがビールは韓国のビールでさっそくお変りをして飲み比べているものも数人見受けられた。
ソウル到着後約3時間30分の乗り継ぎ待ち時間、睡眠をとる者、免税店に張り付いている女性軍、電話でさっそく日本にかけているものさまざまに長ーい待ち時間を過ごしていた。
15 時いよいよロサンゼルスに向かって11時間のフライトが始まった。定期的に飲物や食事があてがわれる。途中の映画も英語や韓国語でよく解らないので取り敢 えず寝て過ごす者多数、そうこうするうちにロサンゼルスまであと1時間と言う放送が流れた。おかしい、もうとっくに到着予定時間が過ぎている。さっそく田 中明君がアテンダントに聞くがらちがあかない。機長に我々の乗り継ぎ便を連絡してくれる旨を連絡してもらい一応回答も来て安心してロサンゼルス到着。しか しながら本来ならデンバー行に搭乗する時間。わたし一人が先に入国審査を済ませ到着ロビーに出るとデンバーから迎えに来てもらったMEMトラベルの中曾根 さんが約束通り待っていてくれ、彼の判断で予定の便を振り替えてくれていて本当に助かった。
その間団員は初めての試練、入国審査に挑戦していた。一人づつ呼ばれて何か聞かれている。それが自分になると担当官が「カンコー?」と日本語で聞いてきて「はい」と答えればいいのに思わず「イエス」と答えて変な思いをしたものも多かった。
そうそうしているうちに69名全員無事入国。点呼を取り今度は国内線ゲートまで移動。この間が一番大変ではと予想していた。なにしろ機内に預けた荷物も この間は持って移動しなければならないからである。中曾根さんの先導で無事移動終了、最後のフライト、デンバーまで約2時間。までで一番小さな飛行機 130席ほどで我々が半分以上席を必要としていた。もし中曾根さんが先に手配をしてくれていなかったらおそらく全員でのデンバー入は不可能で、いくつかの 便に振り替え分乗しなければならなかっただろう。
予定より3時間近く遅れての到着。飛行機を出ると、そこに大きな歓迎の垂幕で多数の方々が迎えてくれた。中には我々の到着の遅れの連絡が伝えられずずっ と待ってくれていた方もいたそうで一同感謝でした。お迎えの中には、デンバー高山姉妹都市委員会会長の今回最もお世話になるサイド君子さんと旦那様、また 前会長で最初のレールを引いてくださったテディースロムさん御夫妻ら、沢山の方々が来て下さっていた。
さっそくまた2台のバスに分乗してホテルへ、ホテルはダウンタウンの南に位置しているランドマークホテル。ここでは我々の練習のためにバンケットルームを 解放してくれたりと便宜を計ってくれている。到着後デンバー最初の食事は、バッフェスタイルの夕食で各々好きなだけの量をとり酒好きの者はさっそくビール を傾けていた。その後ミーティングでこれからの連絡をして解散、時差の関係で長い10月1日が終わった。
10月2日(日)
前日届くはずの借用楽器がこの日の7時に届くとのことだったため関係のパートの者は早起きをして待機。なかなか届かず交代で朝食をとる。他の者も皆早く から行動開始。朝食もバッフェでスクランブルエッグ、ベーコン、ソーセージ、ポテト、パンケーキ、トースト等好きなだけ取れ、飲物もコーヒー紅茶オレンジ ジュースミルクとお決まりコースだけどそれなりに皆満足してよく食べた。
今回デンバーで待合せをしていた6月まで団に所属して英会話教室もやっていてくれたメリッサが楽器を持って来てくれた。彼女は日本を出てからニュージーランドなど旅行して周り、この日に併せてデンバーに入ってきた。皆再会に喜こんだ。
一方、借用楽器は結局10時ごろになり11時の練習に間に合う様手配したようで楽器が到着した頃には、今回合同で演奏してくれるデンバームニスパルバンド(DMB)のメンバーとさらに市内各バンドからの選抜メンバーが集まり始めていた。
初め彼ら単独の今回演奏する2曲のリハーサルが始まった。プロのバンド、ましてはアメリカで最初のプロのブラスバンドと言うことで彼らとジョイントする ことのプレッシャーが団員皆ひしひしと伝わってきていた。しかしながら指揮をするジェラルド・エンスリー氏は、以前打ち合わせに訪れた際お世話になり、い ろいろとコンサートのアドバイスをいただいた。また今回の我々のツアーで、借用楽器や楽譜の手配等もしてくださり、更にトランペットのソロもしていただく など、音楽において最もお世話になる方だ。それだけに、彼とも頻繁に連絡をとっていたためとてもきさくに我々を受け入れてくださりまだ合同練習が始まる時 間にならないうちに練習を見学しているものを誘い入れ一緒の練習が始まった。
11時の集合時間までフリータイムを過ごしていた者は、ホテルの向かいのショッピングセンター「ターゲット」へ行ったり裏の「タカヤマパーク」に散歩にでたりと時を過ごしていた。
集合時間が過ぎ全員での練習が始まった。団長等の挨拶の後、「新祝典行進曲」「センタム」「両国国歌」の合同練習が進み、その後「トランペットコンチェル ティーノ」のあわせへと練習が進んで言った。特にセンタム、トランペット、の2曲は、作曲者自身からアドバイスをいただけた。また両国国歌は、倉野先生の 提案されていた両国国歌の間をドラムロールでつなげることで合意して練習を行った。練習終了後ユニホームに着替え歓迎パーティーが行われるデンバー自然史 博物館へ向かった。
博物館では、姉妹都市委員会のメンバーでここでボランティアをしているタガートさん夫妻がチケットも用意してくださり案内もしてくださった。6時より歓迎 パーティーが始まり博物館の会場に160名の関係者が20テーブルに座り、団員も各テーブルに別れ会話が弾んだ。アトラクションでは、地元のコーラスグ ループが楽しいショウを披露してくれその後我々の寿バンドが演奏した。曲は「ボラーレ」「川の流のように」「踊りあかそう」「セントルイスブルース」 「ムーンライトセレナーデ」で皆様から沢山の拍手をいただいた。このパーティーで市側の関係者より我々の滞在している1週間を高山ウィークとする旨発表が あった。パーティーから帰ると既に11時が回っていた。
10月3日(月)
この日は、当初の予定では9時すぎに市庁舎へ向かうことになっていたが、市長が不在となり副市長によって11時15分より公式訪問のセレモニーを行うことになった。
現 地に着くと既に市庁舎前に椅子がセットしてあり演奏の準備が済むと速やかに副市長ブルース・アレキサンダー氏のご挨拶があり、昨日承っていた高山ウィーク について宣言がされた。また副市長は以前DMBの役員であったこと等の紹介もあり、その後高山サイドから市長からのメッセージを渡し、団長、友好協会長の 挨拶後演奏開始。ランチ時のため徐々に人も増え、副市長も市庁舎の石段にすわって演奏を聞いて下さった。
演奏曲目は、「両国国歌」「海を越える握手」「ハリウッド万歳」「76本のトロンボーン」。演奏が済むとすぐに撤収して次の訪問先コール・アート・スクールへ移動準備にかかった。
MEMで手配してもらったボックスランチも届き、バスで食べながら移動するのだが、内容は日本食でのり巻、卵焼き、焼き魚、からあげ等うれしい内容だったが、量があまりに多く、大萱理事長以外は途中でギブアップとなった。
コールスクールでは既に100人ほどの生徒がホールで待っていた。市役所秘書広報課の田中明さんが高山の紹介をしている間に演奏準備完了。音楽教室のスタ イルで、曲の説明を折り交ぜての演奏、曲目は、「吹奏楽のための木挽歌1・2・4楽章」「ユーミンポートレート」「日本の詩情」「ハリウッド万歳」。演奏 が終わると質問コーナー、生徒たちから積極的な質問攻め「高山市吹は日本でどれぐらい有名なのか?」などの答えに困る質問等を受ける。
その間サキソフォーン四重奏のメンバー、小坂法幸、田中秀幸、高原由紀、平川治の4人は、サクラ・スクエアにあるタマイタワーのペントハウスでアンサンブ ルのコンサートを行った。タマイタワーには、日系の1世2世のご老人で、4日のコンサートに行くことが出来ない方々に日本の曲等を聞いていただきたいとい う思いで演奏会を開くことになった。こちらに住んでいる沢山のお年寄りが集まって熱心に聞いてくださった。中には99歳の方や70年ぶりに「赤とんぼ」の 曲を聞き涙が止まらなかった方など感動的な場面に出会うことが出来た。ここでは団長の三味線による「飛騨山娘」の節で始まり、その後倉野先生にアレンジし ていただいたサックス四重奏で演奏する形をとり、特にお年寄りには喜んでいただけた。アンコールでも団長の三味線が登場して楽しい時を過ごすことが出来同 時にわたしたち日本人が訪れたことで、こちらに住む方々の思いにも触れ、高原由紀の目には涙がいっぱいになっていた。
ホテルに戻ると明日の会場になるジョージ・ワシントン・ハイスクール(GWH)でのリハーサルに向かう準備が行われていた。本来ならエンスリーさんとの あわせをホテルで練習するはずでしたが、サックス組の遅れでGWHで行うことになっていた。竜笛をお願いしていたロサンゼルス在住の吉沢政和さんも合流し て、メンバー全員が揃った。
GWHではセッティングに時間をとられたが、エンスリーさん吉沢さんとの合わせも順調に進み、明日を待つだけとなった。同時にこの日は、演奏会数ととも に楽器の移動も付随するため、エンスリーさんとサイドさんの旦那様にはトラック等の運転でご迷惑をおかけした。
10月4日(火)
本番当日ではあったが、GWHも授業のため我々は17時以降しか入ることが出来なかった為、いくつかの観光を行うことになっていた。
まず初めに「ボタニック・ガーデン」という庭園に高山から送られた灯籠があり、そこで茶会のデモンストレーションを見せていただけると言うことで訪れ た。2組に別れて行われ片方は庭を散策すると行った形で行われた。この日日本では、北海道沖で地震があり津波等の報道が届き地元のテレビ局がその感想を取 りに取材に来た。その取材の様子がこの日のニュースで報じられた。
ここから30分ほど走り次に「レッドロックス」と言う野外コンサートホールへ向かった。ここは、岩山の地形を利用した巨大なホールで9,000席もありそ の巨大さに団員皆感動した。幸い他に誰もいなかったため、まず何人かが舞台まで降りそこで「ぐるりよざ」で歌う男性合唱を歌い始めた。その後「めでた」の 声がかかり、奥原徳浩君の発声で皆舞台にいるものが後に続き、いい思い出を作った。
その後、ホテル近くの高級モール「チェリークリークモール」へ行き各自昼食を取りその後時間までショッピング。本番前とは思えないほどのバイタリティーを見せた。
5時すぎにGWH到着、早速リハーサルの準備。姉妹都市委員会の方々も既に準備においでになり、高山から持参したもののバザー(正確には寄付行為です が)のセットや打ち上げパーティーの支度に働いていた。リハーサルも少しだけ行い、徐々に人も集まりだし、DMBのメンバーも揃ってきた。始めはジョイン トのステージのため椅子のセットも大変だったが、そこは慣れた市吹の若手メンバーがてきぱきと動き見事セット終了。
いよいよ本番始まり。90数名のメンバー全員でまず両国の国歌、倉野先生のタクトにも力が入っていた。演奏が始まると客席全員が立上り国家吹奏を聞き 入っていた。その後、「新祝典行進曲」。エンスリーさんにタクトが変わり「センタム」と二曲合同演奏を行った。とても暖かな雰囲気の中演奏が始まった気が した。
続いて市吹のポピュラーのステージ「イン・ザ・ムード」ではことのほかお客さんのノリにやっている本人たちが驚いた。アメリカングラフティでも同様にう けた。我々もこの雰囲気の中リラックスして演奏が出来たようだ。次にデンバー・ムニシパル・バンド&フレンズの演奏で2曲。とてもめりはりのあるサウンド に軽快さを感じた。
いよいよ次は、我々のメインのステージ。緊張感もでて張り詰めた中、まずエンスリーさんとの「トランペットコンチェルティーノ」。さすがのソロでお客様を 魅了した。次はメインの「吹奏楽のための交響詩 ぐるりよざ」冷静に一つ一つの小節が過ぎて行った。2楽章になると吉沢さんが紋付き袴で登場しソロが始 まった。パーカッションのプレッシャーが伝わってきたのは、私だけでは無いようだった。終楽章では冷静さの中、内面からでて来るバイタリティーがお客様に 伝わって行った。曲が済むと客席全員が総立ちになり演奏を讃えてくれた。すかさず倉野先生からアンコールの「吹奏楽のための木挽歌から盆踊り」の紹介があ り演奏。アンコール2曲目は、エンスリーさん指揮で「赤とんぼ」。そして最後は、フルートパート全員ピッコロに持ち変えての「星条旗よ永遠なれ」で演奏を 終えた。
その後、今回の演奏会でお世話いただいた方々の紹介やご挨拶等があり、その日のコンサートが終了した。後かたづけもてきぱきと行い客席のゴミ拾い等も行 い打ち上げ会場のランチルームに着いた頃は既に10時を回っていた。パーティーでは口々にコンサートの成功を讃えられ、同時に演奏を共にしたDMBのメン バーとの交流も行った。口では伝えられないほどの感激を体験することが出来団員一同充実した1日だった。
10月5日(水)
この日は1日観光ツアーへ出掛けることになっていた。
朝8時出発、バスは一路南へ進み、先ず1時間後に「USエアーフォースアカデミー」空軍士官学校へ到着。時間が押してしまい初めにBー52のところで写 真を撮り、ここの名物のチャペルを見ながらギフトショップで休憩。全員買い物に夢中になりレジの混雑も手伝って出発時間を大幅にオーバー。
次に訪れたのは、「ガーデン・オブ・ザ・ゴッド」神がみの庭に到着。変わった形の岩を眺めながら進み、今にも転ってきそうな岩などを見学して次へと向かった。
昼食は、イタリアンレストランのバッフェ。飲物はアイスティーが用意されていたが物足りないものは各々生ビールを飲んでいた。
食後、本日のメイン世界一の吊橋「ロイヤルゴージ」へと向かった。近づくにつれバスの外には野生の鹿が見けれ、観光客が餌をやっている風景を目にした。 橋ではさっそく渡り始める者、300m下までケーブルカーで降りて上を眺める者、橋の途中まで渡り恐くなって足がすくむ者など様々でしたが楽しいときを過 ごすことが出来た。
3時すぎデンバーへ向けて帰途に入ると辺りは暗くなり雨と雹そして雷がバスを襲ってきた。それでもバスは構わず走りデンバーを目指した。既にここはデンバーから170キロ以上はなれたところまで来ていたため3時間近くかかった。
夕食は地元では有名の「トレイルダスト」と言うステーキハウス。肉のだめな数名を除き全員先ず帥Xターターで、ロッキーマウンテンオイスター(?)とチー ズスッティックを食べ、その後一人1.5ポンドのTーボーンステーキと戦った。(骨が入ってはいるものの一人650g以上はあった)やっつけたものは数名 だった。ここでは名物ネクタイ切りのセレモニーがあり団長初め数人があてがわれていたネクタイ全てを切られてしまった。ここはネクタイなどしてくるような 堅苦しい店ではないと言う証で行われているセレモニーで切られたネクタイは名刺と共に店内に飾り付けられることになっている。楽しい観光の日は暮れてい た。
10月6日(木)
この日は、基本的には自由に過ごす日で、メインは買い物ツアーへ行くもので、ほかにはエンスリーさんの取り計らいでコロラドシンフオニーオーケストラのリ ハーサルを見学させてもらえるようになりそれに参加するもの、トランペットパートは朝からエンスリーさん宅を訪れ、彼のコレクションを見せてもらうなど様 々な時を過ごした。
買い物ツアー組は、先ず16Th.ストリートへ行きサイドさんからご紹介のお土産やさんへ行ったりと走り回った。その後郊外に或る「キャッスルロック・ファクトリーショップ」へ向かいアウトレットショッピングを楽しんだ。とにかく時間がなかったけど、たくさん買った。
4時すぎ一度ホテルに戻り着替え(浴衣)を持って「さよならパーティー」の行われる会場のダニエル・サイド邸まで向かった。ここは最高級住宅地で団員一同とにかく面くらった。
このパーティーは、ポットラックで行われ(お互い料理を持ち込みあうやり方)手作りのご馳走が並んだ。中でもデンバー産の松茸ご飯には驚いた。パーティー は皆各々楽しい雰囲気の中で進められフルートのアンサンブルが披露されるとDMBのフルートパートのメンバーも加わっての演奏をしたり打ち解けたパー ティーとなった。その後クラリネットのアンサンブルでは、地元を歌った歌で「ロッキーマウンテンハイ」を倉野先生がアレンジされて披露すると歓声が起こっ た。デンバー側からはカラオケの披露もあり原田副団長も加わっていた。ホルンのアンサンブルでも清々しい響きを聞かせた。持参した浴衣姿でパーティーにで ていたものは、少々冷えてきた頃メインの「飛騨やんさ」の踊りが始まった。団長の三味線に、大萱理事長そしていままで通訳等でお世話になった田中明さんが 交代で歌い、河内君が囃子方をし、皆は輪になって踊った。
最後に今回お世話いただいた方をサイドさんから紹介され、フィナーレに昨晩倉野先生に書いてもらった「蛍の光」のクラリネットとホルンの合奏で会を締め た。ホテルに戻ると昨日オーダーしていたサイドさんからのジッポのライターの仕分けと清算を行った。時間がかかり仕分けをしてくれた皆にご苦労を掛けたけ ど皆満足する買い物が出来た。
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10月7日(金)
早朝5時ホテル出発。前日までの買い物で皆バッグは目いっぱい状態。空港ではMEMの社員が荷物をカウンターへ並べ数のチェック、楽器もほとんど預ける ことになり心配だが楽になった。名古屋までスルーで行くため今回はロスの移動も楽なはずだ。しかし手荷物は皆何故か増えていた。今回も中曾根さんはロスま で同行してもらい大韓航空のチェックも手伝っていただく手筈になっている。とにかく彼には、いろいろとお世話になった。
ロスで別れ、各自出発までまた免税店巡りをして帰りのソウル行に搭乗、機内はほとんど熟睡状態でソウルまで行き、すぐに乗り換えで名古屋行に搭乗した。しかし荷物の移動がスムーズに行かなかったようで我々の荷物のせいで出発が遅れた。
名古屋空港には9時すぎに到着し税関もほぼスムーズに済み、バスで高山へ向かい途中のドライブインでは自販機でうどんに皆集中した。午前1時30分高山 着。ご家族の方々が迎えに来てくれていた。それぞれ貴重な体験を胸に帰途についた。帰宅後サイドさんへ無事に着いた故お礼状を打ちFAXを送り終えたのは 午前3時を過ぎていた。